昨日書きました韓国の大邱の先生方の代表者である權熙泰先生と草川大先輩と朝食会。
そもそも、草川さんと權先生は30年にわたるお付き合いだそうです。以下は草川さんからうかがったお話です。

『知り合うきっかけとなったのは、「サハリン残留韓国人問題」でした。ご存じのとおり、戦前、日本人としてサハリンに渡った韓国出身者が、戦後、祖国・韓国に帰還できなかったという問題です。
1980年、当時、衆議院議員だった私(草川さん)は韓国から訪れた一人の老婆からこの問題の解決を訴えられました。そこで1983年に問題解決のため国会議員として、戦後、初めて単身でサハリンへ渡りました。当時は東西冷戦下で、韓国とソビエト連邦との間には国交がなく、両国を往来する自由はありませんでした。日本からサハリンへの渡航も厳しく制限されていた時代のことです。

サハリンの州都ユジノサハリンスクで、ソ連共産党幹部に面談し、人道的な立場からサハリン残留韓国人の日本への渡航を認めてもらいたい、それに合わせて韓国の留守家族が来日すれば、日本で親族の再会が実現できるという案を提示し、サハリン残留韓国人の出国許可を強く求めました。

共産党政権下のソビエト連邦の時代ですから、表向きは「ソ連は自由な国だ。国民は皆幸せに暮らしている」とされていましたが、ソ連国民は移動の自由を制限され、まして外国へ旅行する自由などありませんでした。
話し合いは難航しましたが、かたくなに拒むソ連当局を人道的な立場から粘り強く説得を続け、ようやく合意にこぎ着けました。

実は、この時ソ連側の通訳をしていたのが、權校長の実兄でした。お兄さんは1944年、大邱からサハリンへ徴用され戦後残留を余儀なくされていたお一人でした。
サハリンから戻った私は、お兄さんからお預かりした手紙をもって1983年8月に大邱で初めて權校長にお会いしました。以来、家族同様のお付き合いをしてきました。

その後、權校長とお兄さんが東京で再会が実現しました。以後、東京での親族再会は親子、夫婦、兄弟など200組にのぼり、1988年4月ついに韓国への永住帰国第1号を実現するに至りました。
こんな経緯から權先生とお付き合いが始まり、韓国と日本の教育交流のお手伝いをすることになりました。

私(草川さん)は權校長を尊敬しております。家族を引き裂かれた權先生は個人的には反日だと思います。しかし、たとえ相手が日本であっても「良いもの、素晴らしいものは学ぶべきだ」というお考えです。自分が、好きか、嫌いかだけで判断するのは間違っている。良いものは良い、と認めるのが本当の教育だ、という信念をお持ちです。權先生こそ真の教育者であると思います。最も大切な友人が權校長先生です。』

大先輩方が、真心と誠実で開かれた日韓友好の道。全力で心を受け継ぎ頑張って参ります。