今日は大坂で現場の声を聴いて回っており最終で上京します。
さて、先日、韓国の大邱の皆様が来日されましたが、そこに同行されていた韓国の地方紙毎日新聞のイ・ドングァン文化部長が寄稿された新聞記事を送ってもらいました。
以下が全訳文です。恐縮する内容ですが、お時間ある時にご一読ください。

 

 

「ナクトンコラム」韓・日国会議員の重み

我が国と日本の国会議員のうち、どちらのほうがより重みがあるだろうか。十日ほど前に、日本の衆議院を訪問し、三日間、前・現職議員と共にスケジュールをこなした。長い間国会議員を取材してきた経験から感じるところが多々あった。

我々と日本は、大統領中心制と議員内閣制(内閣責任制)の如く、政体が異なる。前者は言葉通り、大統領が中心で、後者は議会が国権の最高機関となる。大統領中心制では議会が直接行政を担うことはない。(一部の長官が議員であることもあるが、特殊な場合である)一方、内閣責任制の日本は総理大臣をはじめ、我が国の長官に該当する大臣は半分以上が国会議員で構成されねばならない。議会と内閣が互いに異ならないといえる。また、我が国の国会は単院制(一院制)だが、日本の国会は衆議院と参議院の両院制となっている。このため、両国の国会議員の重みを直接比較するのはたやすいことではない。それでもやってみよう。

我が国の国会議員の数は300人である。人口5,100万人、国土の面積は99,373平方キロメートルである。国民17万人当たり国会議員一人である。面積は国会議員一人当たり331平方キロメートルである。一方、日本は国会議員の数が衆議院480人、参議院242人を合わせ722人である。国土の面積は37万7835平方キロ、人口はおよそ1億2800万人である。国会議員一人当たりの人口は177,000人余りで、面積は522平方キロという計算になる。日本が国会議員一人当たりの人口がやや多く、面積も広い。年俸は我が国の国会議員が昨年を基準におよそ1億4000万ウォン、日本がおよそ1億6000万ウォン程である。日本のほうが少し多い。制度上や数値の上でも日本の国会議員の重みのほうがもう少し優位にあるようだ。

ところで、両国の国会議員のお偉そうな態度は天と地ほども異なっているように思えた。

我が国の国会議員は次官級の待遇を受けるそうだが、現実はそれ以上である。また、例外なしに権威的だ。政府官僚や補佐官たちは国会議員を丁重にお仕えする。国会の文化というものがすでにそのように固まっている。

国会議員たちもそのような待遇を当然のように受け入れ、少しでも軽んじようものなら、誰彼なくきついお叱りがある。選挙の時になるとこのような特権をなくそうと大声で叫ぶが、その時だけだ。のど元を過ぎてしまえばそれまでである。彼らの選民意識はそれこそ大変なものである。したがって大統領選挙で掲げた公約も紙くずのように無視するのではないだろうか。にもかかわらず恥ずかしがるどころか、お殿様のような態度である。

日本はどうだろうか。筆者が四日間見た日本の国会議員は我が国で見てきたそのような国会議員像とは異なっていた。記者の訪問日程に同行した前・現職議員は連立与党の公明党所属の10選の貫録を持つ前職議員と初当選の現役議員だった。10選の経歴で、公明党の副総裁にまでなり、35年間国会議員を続けた86歳の老政治家は、権威主義とは完全に距離があった。初日の立派な夕食会の時は、さすが大物は違うなという感じがした。しかし、翌日から、彼からは大物ぶった様子とか権威の痕跡を見つけることはできなかった。ほとんどの日程を共にした。

初当選の現役議員は訪問客が申し訳なくなるほど腰が低かった。議員会館での会議と衆議院本会議場見学を終えて、国会議事堂を出た後、20名近い韓国の訪問客がつけていた国会入場用の標識を隣に秘書が立っているのに、議員自ら集める姿は記者の目を疑わせた。秘書もなんでもないという表情だった。私たちだったら想像もできない場面だった。こんなこともあった。その初当選の議員が他の日程があり、食事の時間が取れなかったといって移動するバスの中で、一人で弁当を食べることになったと我々に了解を求めたのだ。驚いた我々は互いの顔を見るだけで、開いた口がふさがらなかった。彼らの行動一つ一つが我々の目と耳を疑わせた。

国会議員の意見発表をする隣で秘書陣が足を組んで、腕組をして話を聞く姿も普通ではなかった。上下の秩序がないというわけではない。共に生きる同志、あるいは同伴者と映ったからである。

権威をひけらかさない日本の国会議員の姿は儀典を金科玉条のように重視し、特権を死んでも離そうとしない我が国の国会議員より尊敬に値すると思った。

イ・ドングァン文化部長
2014年2月24日