今日は、午前中は寝屋川市、午後は大阪市都島区で、約一時間づつ安全保障法制の再整備についてお話しし、今、上京しました。
さて、景気のええ大阪!を何としても実現する為に様々取り組みます。お時間ある時にお読みください。
http://www.higuchi-komei.jp/archives/1977

 

 

目下の大坂における政策の優先課題の最たるものが「景気のええ大坂!」です。地盤沈下が指摘される大阪経済の現状と、活性化に向けての取り組みについてお話したいと思います。まず沈下ぶりを示す数字を4つご紹介します。

①  北浜の大阪証券取引所は、昨年1月東証に統合されましたが、統合直前までの上場会社数の推移をみますと、13年前の2001年(H13)には563社が上場していましたが、一昨年の2012年には188社となり、11年間で「三分の一」にまで激減しました。

②  本社が大阪府にある上場会社の数をみると、2003年は508社だったのが、今年には424社となり、この10年で20%減少しています。現在、東証に上場している企業は約3,500社ですから、大阪に本社がある企業は全体の約12%にしか過ぎません。

③  内閣府の統計に基づき、2000年以降10年間の関西圏の経済成長率(実質GDP) を他の都市圏と比較してみますと、関東は+0.5%の成長、中部は+0.8%の成長、これに対して関西は±0すなわち成長なしということで、三大都市圏で最も低い数字になっています。これを大阪府だけを見てみるとマイナス0.2%で、成長どころか後退したという厳しい数字になっています。因みにこの時期の全国平均は+0.6%の成長です。

④  経済関係だけではなく人口の推移(人の数)でも気になる数値があります。2000年から2012年まで12年間の三大都市圏における人口の増減をみると、関東は141万人の増加、中部も7万人の増加、これに対して関西は12万人も減少しています。 私は大阪経済にとって人口の流出は大変深刻な問題だと考えております。それはそもそも大阪が、外から集まってきた人たちの力を活用して、今日の基礎を築いてきた街だからです。

チャレンジ精神を発揮し、創意工夫を行うといった企業家精神で挑戦する人たちに活躍の舞台を提供してきたのが大阪であることは間違いありません。 もちろん豊臣秀吉もそうですし、住友家も鴻池家も淀屋家もみんな大阪人ではありません。近代では、1878年、現在の大阪商工会議所の前身である「大阪商法会議所」の設立にあたり、大阪府に嘆願書を提出した15名の経済人のうち大阪出身は半数以下の6名で、初代会頭の「五代友厚」も鹿児島出身です。 本町にある大阪産業創造館の地下にある「大阪企業家ミュージアム」には、「大阪経済の発展に尽くした105人」が紹介されています。

このうち大阪出身者は「五分の一」以下の20人で、他の都府県出身者が85名に上ります。まさに、人を呼び込み新たな活力を注入することが今の大阪に必要なことではないでしょうか。 具体的に私は、先の通常国会で東京と並ぶアジアの金融都市「大阪」を実現しようと主張しました。3回に亘り国会質問しました。前述のとおり、大証の名で親しまれた北浜の大阪証券取引所が、昨年1月、兜町の東京証券取引所と統合しました。1879年(明治12年)、商都大阪に我が国で2番目の「株式取引所」として誕生した大証は、日本取引所グループ傘下の「大阪取引所」として生まれ変わりました。 いま世界では国境を越えた取引所の再編が進み、株式や証券・金融先物に加え、金や原油などの工業品、大豆などの農産品といった商品先物も取引ができる「総合取引所」が主流で日本も早期の対応が迫られています。私は先の国会でこの問題を二つの視点から取り上げました。

一つは、法律の整備が進み「総合取引所」は金融庁の監督下におかれことになります。ところがこれまで株式や金融商品は金融庁、工業品は経産省、農産品は農水省がそれぞれ所管してきたため利害が絡み合い協議が進みません。まずこの分野における政府の縦割り行政の弊害解消を強く求めました。二つ目に、商品先物取引業界の改革です。この十年間で世界が六倍に伸びるなか、国内の取引量は五分の一に減少、このままではあと数年で日本から商品先物取引が消えてしまうとの指摘すらあります。そこでこれまでのように個人投資家を対象とするのではなく、機関投資家や外国人投資家といったプロを呼び込める市場構造への転換をすべきだ、それには「総合取引所」が不可欠であることを主張しました。先物取引の歴史は古く、1730年、江戸幕府が許可した大阪の「堂島米会所」が世界最初の近代商品先物取引所です。

現在、世界一の取引高を誇るシカゴ取引所や、世界経済の中枢ロンドン取引所の開設は百年以上も後のことです。大阪が先物取引発祥の地なのです。その流れを組む「大阪堂島商品取引所」に先日視察した際に、昔の社員名簿を見せていただくと、そこに我らが大先輩「白木義一郎」元参議院議員の名前がありました。1950年代の名簿だと思いますが、すごいご縁を感じざるを得ませんでした。「総合取引所」が誕生すれば現在金融先物を扱っている「大阪取引所」で金やエネルギーといった商品先物も扱うことになります。そうなれば新たに金融機関や証券会社などが進出してくるでしょうし、おのずから人とマネーが大阪に集まります。

さて、大阪発祥の先物取引で忘れてはならない視点。それは「スピード」であります。有名な旗振り通信の話。相場を伝達する手段として18世紀半ば以降発達したもので、旗を振って通信する訳ですが、なんと史実では、和歌山まで3分、京都まで4分、大津まで5分、広島までは27分で伝わったという圧倒的なスピード感。一日も早く大阪に先物の総合取引所を実現なければなりません。国会での質疑を通じ、金融庁と農水省は「総合取引所」の実現に積極的な姿勢を示していますが、これまでの権益を守ろうと経産省が消極的な態度に終始しているように見えます。今後も国会論戦などを通じ経産省を説得し、先物発祥の地大阪に世界のマネーを集め、東京と並ぶアジアの金融拠点「OSAKA」の実現を目指してまいります。そして「OSAKA」の名を世界に広めてまいります。ここでは「総合取引所の実現」について記載しましたが、他の政策など寄ってたかって「景気のええ大阪」が見通せるように全力で頑張ってまいります。